遥か彼方の天にまで突き刺さりそうなほど長くそびえる塔には、漆黒の衣装を身に纏いながら、穏やかな笑みを浮かべた青年と、肩に着くくらいの黒髪の少年が一定の距離を保ちながら立っていた。
「…どうあっても君がこの僕を選ばないのなら、君に魔法を掛けて無理にでも僕の物にしちゃうよ。ねぇ、それでもいいの?嫌でしょ?」
人の良さそうな笑みを浮かべながらも、口から出るのは少し身震いがしそうな言葉だった。
「…俺はあんたの物になんか絶対にならない」
ジリジリと近寄る青年を警戒しながら、少年は強気な視線で睨む。
「全く…ここから逃げられると思っているの?君はね、僕の物になるしか道は無いんだよ」
青年の言うとおり、2人がいる塔には大きな窓が一つだけで、入口になる扉はどこにも見当たらない。
どうやってここに入ったのか、どのようにしてここから出るのか、全ては謎の部屋であり、どう考えても逃げ場は無いように思える。
「…あんた、俺の事ちょっと見くびり過ぎ。俺だって魔法は使えるんだよ。わかってんの?」
「ここは僕の…水の王の領域。君の魔法はこの部屋では無効なんだよ?わかってる?」
軽くあしらうように、青年は少年の台詞の最後だけを使って、自分がどれだけ優位に立っているのかを教える。
青年の名は『水の王』。
無論、それは本来の名前ではない。
王としての称号が与えられるのはたった6人のみだが、王となる者は神のお告げにより誕生する前から決まっている。
この青年は水属性の魔法を得意とするところから、『水の王』と呼ばれている。
「さっすが王だね。でもこの部屋の中は、でしょ?だったらここから出ればいいだけの事だよ…」
少年は青年に背を向けると、出口として使えそうな窓に向かって走り出した。
「駄目だよ、リョーマ君」
もう少しで窓をぶち破るところで、青年は指を高らかに鳴らした。
指を鳴らす音がしたと同時に、窓には四方八方から強固な鉄格子が掛かり、黒髪の少年リョーマは寸前で足を止めるしかなかった。
「…ちぇ、やっぱり簡単には逃げられないか…」
たとえ窓から出られても、身体が抜けるほどの隙間は鉄格子には無かった。
外に出れば魔法で遠くまで逃げられると考えたが、どうやら水の王の方が一枚上手だったようだ。
「…でも、まだだ…どこかあるはず…俺は逃げなきゃいけないんだから」
実力と経験の差は火を見るより明らかだが、まだ逃げる事を諦めていないのか、リョーマは部屋の中を見渡して逃げ場所を探し始める。
ここで掴まってしまってはいけない。
何があっても逃げないといけない。
どうしてそこまで逃げる事を考えないといけないのかは、自分が水の王の物になるわけにはいかないという理由からだったが、何故”なるわけにはいかない”と頑なに考えているのかは自分でもわかっていない。
身体中がここから早く逃げろ、と言っているのは確かなのに、心の中には疑問が沸く。
「君は本当に負けん気が強いんだね。こういうのって嫌いなんだけど…また逃げられるのは困るからね」
力任せは気に入らない。
どうにかして相手から自分を求めるようにしたい。
しかし、そんな正当なやり方では絶対に手に入れる事が出来ない。
これは最終手段を使うしかないと、水の王はまず手初めにリョーマの動きを止める為に呪文を唱える。
「ゆ、床が…」
水の王が呪文を唱え始めると、リョーマの立っている周囲の床が少し浮かび上がる。
隙間からはうねうねと不気味に蠢く水の柱が無数に現れ、リョーマの足に何重にも絡み付く。
「…ちょい、ヤバイかも…」
ねっとりと絡み付く物体はリョーマの足を床から離さない。
まるで床と一体化してしまったような足は、自分の意思ではビクともしない。
「遅いよ、リョーマ君」
全身に掛けられては絶対に逃げられない。
リョーマは慌てて手で引き剥がそうとするが、水の王は足だけで無く全身が動かないように魔法を掛ける。
「……」
全身の動きを止められれば、言葉を発する事も不可能となり、憎まれ口すら言えなくなる。
何も出来無いリョーマに唯一出来る事は、自分に魔法を掛けた相手を心の中で睨むくらいだ。
水の王は何も出来ないリョーマにゆっくりと近付き、口元に笑みを浮かべながら全身に魔法を掛けた。
「…僕の可愛いリョーマ君は誰にも渡さないんだから。それが他の王だろうともね。ああ、でも“彼”はもうここにはいないからそんな心配は要らないかな…」
呪文を唱え終わると、リョーマの身体はみるみる小さくなり、最後には着ていた衣類の中に姿が隠れてしまった。
「元に戻して欲しかったら、僕の物になるって君から言ってね」
ぱさっと床に落ちた衣類の中には、黒くて小さな物体がもぞもぞと動いていた。
|